津野米咲がいない世界

 津野米咲が亡くなった。
 そう書いてみたものの、やっぱり現実味がなかった。突然の死、しかも自殺というから、わけがわからなかった。どうして?なんで?と疑問ばかりが浮かんで、考えれば考えるほど悲しみは深まる一方だった。
 赤い公園は、新しいヴォーカリストを迎え、昨年にEP、今年にフルアルバムを発表し、来月には新曲も発表される予定だった。「絶対零度」がアニメの主題歌になったり、来月発表の新曲もドラマの主題歌だったから活動は順風だと思っていた。世間的なブレイクはまだまだとはいえ、初期から応援してきたコアなファン層に、アイドルグループ出身の新ヴォーカリスト石野理子のファンも加わり、バンドの第二章としてはいい調子で展開していったと思っていた。もっとも、今年はコロナの影響もあって、ツアーは中止、フェスも中止とバンドの活動は限定されてしまい無観客配信ライブを行ったりしたので、やりたいけどやれないというジレンマは抱えていただろうけど、それはどのバンドも同じことで、赤い公園に限った話ではなかった。
 とはいえ、僕は決して熱心な赤い公園ファンではなかった。セカンドアルバム「猛烈リトミック」は持っていて好きな曲はいくつもあったけど、ライブに行ったことはなかった。まだメジャーデビュー前に名古屋のサーキットイベントで観たけど、初代のヴォーカリスト佐藤千明の個性が強いものの、あまり音楽は印象に残らなかった。

 しかし、ソングライターとしての津野米咲には注目していた。きっかけは、モーニング娘。16の「泡沫サタデーナイト」というシングルで、僕はこの曲が大好きで、黄金期の「LOVEマシーン」と並ぶ傑作であり、レコード大賞を取ってしかるべきと思っていた。きっとアイドルが大好きで、子どもの頃からモーニング娘。が好きだったからこそ書けた曲だと思うし、ファンとしての思いがあふれんばかりに込められていた。その他、SMAPにも曲を提供していたし、近年はYUKIにも楽曲を提供していた。たとえ赤い公園が長く続かないとしても、コンポーザー、プロデューサーとして津野米咲はメジャーな存在になるものだと思っていた。作詞家としても、どうしてこんな炸裂した詞が書けるんだろうと不思議でならなかったし、メロディメーカーとしての才能も突出していた。
 そんな僕が赤い公園にハマったきっかけになったのが、昨年you tube限定で配信された「ハイウェイカブリオレ」だった。たまたま動画が上がっていたので観たら、あまりの曲の良さに驚いて、それこそ毎日のように観ていて、CDが発売された時にすぐさま買いに行った。6月の名古屋でのサーキットイベントにも行ったし、12月のツアーでの名古屋クラブクアトロにも行った。石野理子は、6月に観た時はまだまだぎこちなく映ったけど、12月に観た時は堂々としたバンドのヴォーカリストになっていたので若者は成長するのが著しいな、と感心したものだった。これからこのバンドがどう転がっていくかを観るのは楽しみでならなかった。
 ヴォーカリストの脱退という未曾有の危機を乗り越え、みんなが赤い公園の今後の活躍を楽しみにしていたのに、どうして自ら開けた幕を自らが閉じてしまっ たんだろうか。この前誕生日を迎えて29歳になった。来月には新曲が発表される。なのにどうして自殺なんかしたのかわからない。計画的なことではなく突発的なことだったかもしれない。ひょっとしたら死ぬつもりなんてまったくなくて、何かの手違いだったかもしれない。いろんなことを詮索したくなるけど、詮索したって時計の針が巻き戻るわけではない。

 今はまだ赤い公園の曲を聴くことができない。だけど、モーニング娘。はいいかなと「泡沫サタデーナイト」のCDを久しぶりに聴いたら涙が出てきた。なんていい曲なんだ、とあらためて実感して、この曲を書いた人がもうどこにもいないんだ、と思ったらたまらない気分になった。悲しいし、悔しいし、腹も立った。死なないでくれよ。もっと長生きしてさ、バリバリギターをかき鳴らして、いい曲いっぱい書いてさ、いい恋してさ、思いっきり人生楽しめばよかったじゃないか。
 赤い公園が今後どうしていくかわからないけど、僕らは津野米咲がいない世界で、これまで米咲が書いてきた曲を忘れさせないように継いでいきたい。こんなにいいバンドがいて、こんな凄いソングライター、ギタリストがいたんだぜ、という事実を伝えていきたいと思っている。そんなことしかできることがないのだから、それをやっていきたい。
 

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

ありがとう、米咲。