マジカルコネクションな日々11 清志郎へ
今日は忌野清志郎さんの命日だ。10回忌にあたる。毎年この日になると清志郎についていろいろな書いてきたけど、10年という節目であり、2009年5月4日にmixiに書いた清志郎の追悼文をあらためて投稿したいと思う。読み直して気になって箇所を若干修正したりしたけど、ほぼ10年前に書いた文章のままである(mixiはこの数年ぜんぜん使ってなかったので、パスワードとIDがなかなか思い出せなかった)。あまり整理されてない文章ではあるけど、あの時に思い、書きたいと思ったことは書かれてある。清志郎を愛したすべての同志に読んでいただければと思う。
5月2日の夜、酔っぱらって家に帰り、「ロックの学園」という番組を見ていたら「忌野清志郎さんが本日お亡くなりになりました」というテロップが出た。一瞬、冗談だと思った。いくら学園の校長が清志郎だからと言って、それはちょっとシャレがキツイんじゃないか。でも、いくらなんでもそんな冗談言わないよな、とパソコンを立ち上げ、ヤフーのホームページをクリックした。そこには、清志郎の死亡記事があった。
本当だったんだ。
本当に清志郎が死んだんだ。
その事実を頭の中で理解するのに数分かかった。
ガンが転移したと聞いて、最悪の事態もありえることを十分承知していたけど、清志郎が死ぬわけがない。拓郎みたいにガンを克服して復活する筈だ、とタカをくくっていただけに、突然の訃報に頭が真っ白になった。その後、東京の友だちに別件でメールをした。すぐに電話がかかってきて、清志郎が死んで悲しいと告げた。友だちも驚いていた。迷惑かなと思いながらも、思いを伝えたかった。人の痛みがわかる優しい人だから、僕の悲しさもわかってくれると思った。
翌日、新聞を広げると大きく死亡記事が取り上げられていた。とっぴなトークが人気で社会派の論客としても活躍、と馬鹿みたいな事が書かれてあったが、一般紙の扱いなんてそんなもんだと特別腹を立てることはなかった。
それから僕は東京へ出かけた。i-PodにはRCの曲が入っているけど、聴くことはなかった。聴きたくはなかった。
次の日の朝、「めざましテレビ」を見ると、エンタメコーナーは清志郎追悼特集だった。かつてホームスタジオ「ロックンロール研究所」で撮影した映像が流れ、フェンダーローズを弾きながら
「てのひらを太陽に」を歌っていた。80年代のこわもての清志郎ではなく、優しい笑顔が印象的だった。泣く事はなかった。
清志郎が死んでしまったことを受け入れる用意がちゃんとできていないのに、情報はどんどん入ってくる。現実なんだけどリアリティがなく、たちの悪い絵空事のようだった。でも、結局は現実を直視したくなかっただけだった。
その日の夕方、僕は渋谷のHMVに行った。
入り口の所に追悼コーナーがあり、店内には「ヒッピーに捧ぐ」が流れていた。店内をウロウロしながら「ヒッピーに捧ぐ」を聴いていたら、涙が出てきた。ずっと我慢してきたのに、もう駄目だった。涙が止まらなくなった。人目があるけどどうしようもなかった。僕はやっと清志郎が死んだという現実を直視し、ずっとずっと大好きだった清志郎の歌をもう聴くことができないんだという事実を受け入れてやりきれない気持ちになった。
せっかくガンを克服して復活ライブをやったのに、どうして死ななきゃならないんだよ、と悲しくなった。ムッシュかまやつのように、70を過ぎておじいさんになっても歌い続けてほしかった。もっともっと歌ってほしかった。
中学3年の時、「トランジスタラジオ」を聴いて以来、ずっとリアルタイムで聴いてきた。「いけないルージュマジック」をテレビで見た時は、高校1年だった。「ベイビー逃げるんだ」でCMに出演したのを観たのは高校3年だった。「カバーズ」の騒動があった時は大学4年だった。26歳になってニーサンズのライブではじめて生の清志郎を見た時は涙がでた。近年は決して熱心に聴くことはなかったけど、でも僕は清志郎の事が大好きだった。僕にとって日本のロックバンドではじめてカッコイイと思ったバンドが、RCだった。
個人的に清志郎のアルバムではブッカーT&THE MG'Sがバックを務めた「メンフィス」がいちばん好きだった。オーティスレディングを敬愛していた人が、メンフィスで、オーティスのバックバンドとレコーディングをする、という夢のような
設定の中で、「BOYS」や「石井さん」(奥さんのこと)を歌う清志郎は最高だと感激した。僕らの世代のロックファンでRCを聴いたことがない奴なんていない。その影響力はどれだけ大きいかわからない。多くのアーティストが清志郎を愛し、リスペクトしてきた。山下達郎や矢野顕子といった
清志郎と同世代の人も、トータス松本や奥田民生といった僕と同じ世代の人も、ゆずのように息子のような年齢の人からもみんな。
反体制の人、というイメージは僕にはない。ずっと少年のようなピュアな想いを持ち続けた人だっと思っている。大人の都合や企業の倫理がまかり通る嘘だらけの世界に対し、唾をはき、なくすものの大きさを顧みず闘っていった。テレビの生放送でFM東京を批判したり、NHKで企業名を連呼したり、原子力産業の大手・東芝グループの所属アーティストなのに反原発の曲を歌ったり、「君が代」をパンクにしたり。清志郎は本当の意味でロックな人だった。こんな人はもう現れない。日本のロックはこんなにカッコイイんだ、ということを僕たちに教えてくれた偉大な人である。
だから、心の底からありがとうと言いたい。
リアルタイムでRCの全盛期から今に至るまでずっと楽しませてくれて本当にありがとう。
あらためまして、謹んでご冥福をお祈りいたします。