マジカルコネクションな日々10 ありがとう平成、よろしく令和。

 昨日、平成という時代が終わった。たまたま、ではあるけど東京にいた。とはいえ、国旗やパチンコを持って皇居に行った訳でもないし(ゆきゆきて神軍を知らないとわからないか)、かといって渋谷にいてカウントダウン騒ぎに参加した訳でもない(だいたいなんで若者たちは渋谷に集まってバカ騒ぎをするのかよくわからないんだけど)。僕は思想的に右でも左でもないし、天皇制の是非については上手く語れる自信はないが、上皇様になられた天皇陛下皇后陛下は尊敬している。特に政治が劣化してあらゆる物事が軽くなっている分、陛下のお言葉や行動はとても重みがあると思っていた。だから30年間ありがとうございました、と感謝の意をお伝えしたい。


 平成の30年というと、僕が大学を卒業して社会人になったのがまさに平成元年だったので、平成の30年というのは社会人として社会に対峙していた30年ということになる。1989年というとそんなに昔の話でもないように思えるけど、やはり30年という歳月は長い。戦場の通信兵が持っていたような、携帯というけど携帯しようがない大きさだった携帯電話を、老若男女が誰もが持つようになるなんて思いもしなかったし、パソコンがこんなに普及してインターネットでどんな情報も即検索し、誰とどこにいてもメッセージのやりとりができるなんて想像もつかなかった。ましてやスマホなんてものが誕生するなんてね。CDとカセットテープで音楽を聴いていたと思ったら、カセットに代わってMDが登場し、なんて画期的なんだ、編集がラクだ、と喜んでいたのも束の間、あっという間にどこかに行ってしまい、iPodが登場してもうこれ以上の再生機器はない、一生手離せない、と思っていたのに、iPodも誰も使わなくなってしまっった(僕は意固地になって使ってるけど)。携帯電話が音楽再生機器となり、若者はCDを買わなくなり、音楽産業が斜陽になってCDがそのうちなくなると言われる現実は正直歓迎しないけど。車が空を飛んだり宇宙旅行に行くことはないものの、現実の21世紀はどんな近未来SFよりも未来的であった。


 仕事の環境としても、職場は変わったもののやっていることは29年変わっていない訳だけど、あの頃マックでデザインしている人なんて周りに一人しかいなかったし、みんなそれが当たり前のように手描きでラフを描き、写植打って版下原稿を作って入稿していた。ワープロはまだ定着していなくて、いちばん最初に代理店でバイトやってた時は原稿用紙にコピーを書いていた。ワープロを使い始めたのは1990年以降だった。今考えてると単に文章入力するだけの代物だったけど、当時はこんなに便利なものはないと思っていた。マックは前述のように使っている人は本当に少なかった。印刷のインフラがまだ整備されてなかったし、使える書体も少なかったし、だいいち高価だった。立花ハジメさんがいち早くマックを使って斬新なスタイルでグラフィックをやっていたけど、こんなものが普及するとは到底思わなかった。デザイナーよりもミュージシャンがまず使い始めて、加藤和彦佐野元春がいち早くレコーディングで使っていた。広告業界ではまずデザイナーが使い始め、やがてライターもマックでコピーを書くようになった。うちの職場(前の職場も今の職場も)はマックを導入したのは早い方だったけど、90年代後半までマックを触ったことがなく、写植版下でアナログに仕事していた方も多かった。やっぱり定着するのに時間がかかったし、印刷するにしても試行錯誤の連続で、よく覚えているけど、地元の情報誌(関西でいうとSAVVYだな)でDTPで入稿して印刷したんだと思うけど、書店に並んでいた雑誌の紙面が思いっきり文字化けしていて、他人事ではなかったのでまさに背筋が凍る思いだった。多分業界の人はあの時雑誌を見てみんなゾッとしたんじゃないだろうか。あの時、いつどうやってマックを導入するかがデザイナーにとっての運命の分かれ道だったと思うけど、パソコンでデザインすることに抵抗した人も多かった。東京だとそれもまたそれで、それがあのスタイルだからと通用したんだろうけど、名古屋じゃそうもいかなかった。今ではカメラマンの方も皆さんデジカメだし、イラストレーターの方もマックで描いてるから時代はずいぶん変わったもんだ。便利になったし、スピードも高まったけど、その分余裕がなくなったのは痛いところではあるけどね。
 令和がどんな時代になるかわからないけど、利便性や効率性ばかりが重視され、物の本質を見誤ることがない時代であって欲しいし、音楽とか文学とか、文化に真っ当な金が払われることを望む次第だ。それと戦争だけは勘弁してほしいな。何にしろ30年前は漠然と物書きになりたいと思ってたり、編集の仕事がしたいと思って出版社に入ったら教材のセールスをやる羽目になり、向いてないから4ヶ月で辞めてフリーターになり、広告代理店でのバイトが契機になっていつの間にか広告のライターとなり、今に至るまで現役でやってこれたのだから運がよかったとしか言いようがない。業界辞めた人もいっぱいいるのに、なんとか生き残ることができたというのは、自慢するでもなく卑下するわけでもなく、本当に周りの人に恵まれたおかげである。時代がよかったというのも大きいけどね。もちろん、音楽は好きだったけど、ライブのイベントをやることになるとは想像できるわけもなかった。音楽についてはまた後日改めて書きます(多分)。