マジカルコネクションな日々4 「仁義なき戦い」はどうしてこんなに面白いのか。

 生きながらえば恥多しと言うけど、先日誕生日を迎えた。毎年誕生日には自分自身で誕生日祝いを買っているが、大概はCDやDVDのボックスで、音楽か映画のどちらかを選んでいる。今年はというと、ついに念願の「仁義なき戦い」のブルーレイボックスを買った。定価は15000円だったけどアマゾンで4000円ほど安かったので、これはもう買わない理由がなかった。手元に届いたのを見たら、簡易的なパッケージで、スタッフやキャストの詳細なライナーもなくどうりで安いと思った、と落胆したけど、映画を観る分にはこれで充分だ。
 とはいえ、僕はヤクザ映画が好きな訳ではない。映画館でヤクザ映画を観ることはほとんど
ないし、「仁義なき戦い」以前の東映任侠映画も数本しか観ていないし、「極道の妻たち」も第1作をたまたまホテルで観たぐらいで、それ以外は観ていない。「座頭市」シリーズは観ている方だけど、あれはヤクザは出ているけど任侠映画じゃないしな。
 にも関わらず、「仁義なき戦い」は例外中の例外で、第1部から第5部まで全部観ている。テレビで録画したVHSやDVDを何度も観てきたし、DVDの山の中から探すのが面倒でTSUTAYAで借りて観たりもした。自分自身でも何でこの映画がこんなに好きで、繰り返し何度も観ているのか不思議で仕方ない。
  「仁義なき戦い」は実際の広島で起った暴力団の抗争を、作家の飯干晃一が取材してまとめたノンフィクションが原作で、まだ新聞に連載が載る前に原作者の飯干氏が懇意にしていた東映のプロデューサーである日下部五朗氏に取材原稿を見せたのがきっかけとなって映画化に至ったのが契機となっている。

  「仁義なき戦い」の第一部が公開されたのは1973年の1月であり、映画史的に見るとこの時期の日本映画は衰退期であった。70年代になって大映は倒産、日活はロマンポルノ路線に方向転換し、東宝も若大将やクレイジーキャッツ
映画シリーズが軒並み終了し、東映藤純子が引退し、高倉健主演の任侠映画に客が入らなくなりシリーズが終焉していた。加えて戦後の日本映画を牽引していた「世界中に客を持っている」映画監督であった黒澤明は、「どですかでん」の興行不振もあって自殺未遂をした。どんな小さな町にもあった映画館が、小さな町からなくなってしまい、多くの映画人がテレビに活路を見出していた、という時代であった。書いてるだけで気が滅入るけど、そういう時代だったようだ。松竹の名前は入っていないけど、松竹には「男はつらいよ」というドル箱映画があった(ドル箱って言葉使わないか今は)。同じヤクザ映画でも任侠路線から実録路線への方向転換は随分と極端な話ではあるけど、それは日本映画の切羽詰まった綺麗事を言ってられない状況から生まれたものだった。
  「仁義なき戦い」を何度も観てしまうのは、抗争が複雑で一度観ただけでは関係性がよくわからないということもあるけど(それでも飯干晃一の原作はかなり人間関係が複雑で脚本の笠原和夫はかなり丹念に取材をして人間関係をまとめたという)、この映画の最大の魅力は「熱量」だと思っている。そして、その熱量とは、この映画に賭けた俳優陣の情熱(執念というべきか)によるところが大きい。主演の菅原文太は新聞での連載を読んでこれを映画にしてほしい、と東映の上層部に進言した。山守組長役の金子信雄は当初役に決まっていたものの病気で入院していたため三國連太郎が代わりにやることになっていたが、衣装合わせの際に入院先の病院を抜け出してきた。さらに北大路欣也は第一部を映画館で観て衝撃を受けて、シリーズに出演させてほしいと会社に直訴して「広島死闘篇」の主役に抜擢されたという。これほどまでに役者を熱くさせる映画であったわけだが、それも1973年という時代と俳優陣たちの日本映画の現状に対する鬱積があったんじゃないだろうか。菅原文太も「仁義なき戦い」以前にシリーズもので主演を張っているし、松方弘樹北大路欣也も梅宮辰夫もそれ以前に主演作を持っているが、俳優としての実力を蓄え、頭角を現した頃には日本映画の黄金時代が終わってしまい、世が世なら中村錦之助高倉健のようなスターになれたのになれなかった人たちであった。それは本家の東映京都ではなく、東映東京の監督で、注目はされていたけどヒット作がなかった深作欣二も同じだろうし、日活のトップスターであった小林旭にとっても重要な転機となる作品になった。「仁義なき戦い」には、そんな役者やスタッフの鬱憤がすべて吐き出されているような底知れない迫力と鬼気迫る熱気にあふれている。「代理戦争」や「頂上作戦」での菅原文太小林旭のやりとりはゾクゾクするし、脇を固める松方弘樹、梅宮辰夫、成田三樹夫室田日出男といった一癖も二癖もある俳優たちの芝居は、いつ観ても興奮を抑えられない。深作欣二の脂ぎった演出、陰惨な話の中で絶妙なユーモアを交えた笠原和夫の脚本、手持ちカメラの臨場感ある撮影、殺気立った音楽、そして俳優たちの演技。すべてが一体になって映画史上屈指のシリーズが誕生した。5部作の中で僕がいちばん好きなのはやっぱり第一部で、次が4作目の「頂上作戦」だ。
 ちなみに、僕がマジカルコネクションの当日にエセ広島弁で告知したり、今日の「仁義ある戦い」と書いたりするのは、「仁義なき戦い」のオマージュであるけど、映画を知らない、観たこともない人には何がなんだかわからないだろうな。ま、いいんだけど。